Past Scar

６.

城へ戻る間、馬上の遼牙はずっと無言のままだった。瑠羽はその胸にしがみ付いては時折耳を押し当て、この奥で渦巻いている感情を何とか読み取ろうとした。

しかし当然ながら自分にそんな能力は備わっておらず、早々に諦めてひたすら城に着くのを待った。

ただひとつ、言い付けを守らなかった自分に対する怒りの感情は容易に推測できた。それを思うと喉の奥がきゅぅっと締まって苦しくなってくるが、もちろん瑠羽は正面から怒りを受け止めて、心の底からの謝罪を捧げるつもりでいた。

自分の軽率な行いが、遼牙を苦しめる格好の機会を嵯我に与えてしまったのだから。


―――遼牙さま、ごめんなさい、ごめんなさい………


瑠羽は胸の奥で繰り返しながら、城に到着するまでの時間を耐えたのだった。




「遼牙様！　瑠羽！　良かった、ご無事で………」

城に着くとすぐに鴇津が迎えに出てきた。その後ろで鞘葉が胸に手を当て、ほっと安堵の息を漏らすのが見えた。

「心配かけてごめんなさい。鴇津さま、鞘葉さん」

馬から下りた瑠羽はすぐに二人の許に駆け寄って、肩をすぼめて謝った。すると鴇津はそっと腰を屈めて、

「私達への謝罪はいいですから、遼牙様にちゃんと謝るのですよ」
「は、はいっ」
「ほら、早く追い掛けなさい」

鴇津の言葉に弾かれるように顔を上げると、すでに歩き出していた遼牙の背中を慌てて追い掛けたのだった。




「遼牙……さま………」

遼牙を追って私室に飛び込んだ瑠羽は、息を切らせながら遼牙の名を呼んだ。しかし遼牙は窓の方を向いたまま、張り詰めた沈黙を返すのみ。

接近を拒絶しているわけではないと分かってはいたが、やはり安易に近付くことは憚られた。瑠羽は不自然でない程度の距離をおいて、

「遼牙さま、ごめんなさい……」
「…………」
「言い付けを……守らなくてごめんなさい……」

遼牙は背中の強張りを僅かに解いて、

「何故、私の言い付けを破ったのだ」

瑠羽は思わずびくんと首を縮めた。しかし遼牙の声に咎めるような響きはなかったことにすぐ気付き、顔を上げてはっきりと答えた。

「ゆうべの酒宴で他の方を酒姫に召し上げたと聞いて、それで恐くなってしまったのです。そこまでして僕を叔父様に会わせたくないということは、何か深刻な理由があるに違いない。もしかしたら、僕に問題があるのかもしれないと。それで―――」

遼牙はゆっくり振り向いて窓枠に身体をもたせ掛け、溜息をついた。

「知っていたのか。昨夜酒宴を開いたことを」
「はい。偶然耳にしてしまったのです。それで僕、こわくて……。叔父様を歓迎する大事な酒宴から遠ざけられたということは、酒姫に相応しくないと遠回しに宣告されたように思えて。そしたらあの人が……理由を教えてあげよう、と………」
「私が叔父上からお前を遠ざけようとする理由を教えてやろうと言われたのだな？」

瑠羽はこくんと頷いて、すがるように見上げた。

「こっそり聞くような真似はせず遼牙さまに直接聞きますと申し上げたら、それは無理だと。絶対に遼牙さまの口から真実は聞き出せないぞと言われて、それで、つい………」
「後を付いていったら薬を嗅がされ、気を失ったまま城から連れ出された、というわけか。それで、瑠羽」

瑠羽の鼓動は大きく跳ね上がった。何故だろう、強張った背中に謝罪を繰り返していた時よりずっと、心臓が激しく動いている。きっと、次に遼牙の口から出る言葉を知っているからだ。それを聞くのが、恐い。

「は、はい……」
「あの男から、何を聞いた」
「な、何も………」

ああどうして。どうして肝心な時に声が震えてしまうのか。瑠羽は融通の利かない器官を秘かに呪った。そして喉とお腹に力を入れて、「何も聞いておりません」と言い直した。すると遼牙はすっと目を細め、

「何も、聞いていないと？」
「はい」
「では何故……泣くのだ」

瑠羽はぽかんと口を開けると、慌てて目を拭った。声を繕うことばかりに気を取られ、涙腺まで抑制することができなかった。

「ぼ、ぼく……は……なにも………」
「聞いたのだな？　私のことを。嘗て私があの男に―――」
「聞いてない！　聞いてないもん！」

瑠羽は叫びながら遼牙の胸にかじり付き、声を上げて泣いた。遼牙はその身体を溢れる涙ごと受け止め、しっかり抱き締めた。

「瑠羽、辛かっただろう……嫌な話を聞かされて……」

瑠羽は苦しげに肩を上下させながら顔を上げ、

「りょ…きさま……まだ、痛い？　まだ………痛いの………？」

胸を衝く切実さで問いを繰り返す。遼牙は涙に濡れた頬をそっと拭い、深く、昏い笑みと共に答えた。

「いや、もう痛くないよ」

この言葉が真実なのか遼牙にも分からない。だから瑠羽にも分かるはずなかったが、瑠羽はそれでいいと思った。分かる必要はない。ただ信じればいいのだ、と。

「叔父上の前でお前は、私を守ると言ってくれた。左様、私は守られている。先刻も、お前のお陰で怒りの剣を収めることができた。だから瑠羽よ、泣くのをやめて、笑顔を見せてくれ」

瑠羽はぐずぐずと豪快に鼻をすすり上げて、遼牙の顔をじっと見詰めた。そして、唇をぴくぴくと引き攣らせながら吊り上げていった。どうやら“笑顔”のつもりらしい。

遼牙は腕を回してその“笑顔”を胸の中に収め、

「はは……瑠羽よ、それが笑顔なのか？」
「ふぇぇ……笑うなんてひどいですぅ………」
「はは、はははは…………」

遼牙は肩を震わせ、涙を流さずに泣いた。そして、瑠羽にたとえひとときでも笑顔を忘れさせたあの男に対し、ある決意を固めたのだった。




「それにしても……瑠羽の嫉妬深さには困ったものだ」

遼牙は深刻ぶった声でそう言って、つるんと剥けたピンク色の亀頭を舌先で舐めた。瑠羽は「きゃふっ」と声を上げ、涙声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す。

遼牙はずっぷりと埋め込んだ二本の指を上下左右に躍らせて、許さないぞと無言の叱責を与える。さらに先端にやんわり歯を立ててからくちゅっと吸い上げると、生暖かくとろみのある液体が口内を潤した。遼牙はそれを味わってから口を離し、

「寝室を飛び出して、大広間へ行こうとしたらしいな。鞘葉から聞いたぞ」

瑠羽はなだらかな胸を上下させて嗚咽を呑み込み、「はい、行きました…」と正直に認めた。

遼牙はしつこく指で掻き回しながら、「呆れた子だ」と冷ややかに言い置く。すると瑠羽は怨めしげに見上げて、

「だって………酒姫がどんな人か知りたかったんだもん！　それに……もしかしたら遼牙さまのお膝の上で………ぴったりしてるかも、って………」

遼牙は思わず綻びそうになる口許を意識的に引き締めて、「嫌なのか？」と訊ねた。瑠羽は涙でふやけた瞳でキッと見据えて、「当たり前です！」と答えた。

「ふむ…。しかしお前がいつもしていることではないか。私の膝の上に座ってぴったり密着して、宴の最中だろうが賓客の挨拶中だろうが構わずうとうと眠りこける。私がこれまで何度、自分で自分の杯に酒を注いだことか」
「ふぇぇ……」
「他の人間が同じことをしたら、そんなに嫌なのか？　ん？」

瑠羽はついに本格的に泣き出した。「だって…だって……」と繰り返しながら鼻をすすり、ひくんひくんと上半身を震わせる。するとそれに合わせて、遼牙の指を包み込む柔らかな肉が大きく波打った。

「ぅっ……」

性器への直接的な刺激ではなかったが、そのねだるような淫らな動きとねっとり絡み付く質感の効果は絶大で、一瞬にして遼牙の頭を交合への欲求で埋め尽くした。

遼牙は呻きと共に指を引き抜くと、広げられた花びらがふにゅっと閉じるより早く己れ自身を突き立てた。

「ゃぁぁぁぁ…ん………ぁ、ん……あぁん………」

まだまだ指でのお仕置きが続くだろうと覚悟していた瑠羽は、突然訪れた灼けるような快感にはしたなく悶えた。

シーツの襞に指をうずめて、半開きの唇からとろとろと唾液をこぼして喘ぐ。その蕩けるような姿態、快楽への素直な反応に遼牙の雄はますますいきり立ち、瑠羽の蜜壺の中でどくどくと脈打った。

遼牙は先に達ってしまわないよう、小さく腰を揺らしながらねちっこく問いを続ける。

「だって、何だ？　ん？」

瑠羽は遼牙の動きに合わせて無意識のうちに腰を跳ね上げ、さらに深くへ誘い込みながら、

「だっ…て………りょき…さまのお膝のうえは……ぼくだけのだも…ん………ほかのひとは……だめぇ………」

遼牙はもはや、口許の笑みを隠せなかった。瑠羽の可愛い我がままに、腰の動きも自然と激しさを増す。我ながら分かりやすい男だと思いつつも、嫉妬されて嫌な気持ちになるはずがないと強引に納得する。

「ぼくぅ……ちゃんとお務めしま…す……だから……ぁ、ぁン……だか…ら……もうほかのひと、を………ゃぁッ……ぁぁぁん………さーきーにするのは……やめ………はぁ…ン……イッちゃ……ぅ……も、だめぇぇ………」
「ぅっ……瑠、羽………」

抱え上げられた足で宙を蹴りながら瑠羽はぴゅるぴゅると白いものを飛ばし、それから一拍遅れて遼牙の怒張が弾けた。

グッと押し込んでこれ以上ないほど股間を密着させたまま、次々と種を送り込む。瑠羽はうっとりと目を閉じて、お尻の奥にじゅわっと広がる熱を反芻した。

そして声に出さず、これも僕だけが感じられる熱だもん、と呟く。するとその声なき呟きに呼応するかのように、遼牙が荒い息の奥から囁いた。

「私の全てはお前のものだよ。身体も心も、この熱き精も」
「お膝の……上も……？」
「ああ、もちろんだ」

嬉しそうにふにゃりと笑う瑠羽の目許に、遼牙は誓いの口付けを落とした。




それから七日後―――

「遼牙様、黒鴉城からの伝達が届きました」

いつものように執務室に入ってきた鴇津は、いつものように事務的な口調で報告を始めた。

「領民の暴動に豪族および地主らが賛同し、黒鴉城を占拠。城主の嵯我様と夫人を連行して領主権を剥奪。その後臨時の行政議会を招集して、公金横領の罪で領地からの永久追放を確定したとのことです」

遼牙は書類に目を落としたまま、「それでどうなった」と淡々と促す。鴇津は頷いて、

「城を明け渡す日の前夜、城の内部数カ所から火の手が上がり、数時間に渡って燃え続けました。その後焼跡から嵯我様と奥様のものと思われる遺体が発見されました。解剖の結果、二人は大量の睡眠薬を服用していた可能性が高いことが判明したそうです」

鴇津の報告が終わると、長く重苦しい沈黙が続いた。やがて遼牙は顔を上げ、

「了解した。このたびの暴動に関し、まことに遺憾ではあるが首謀者の検挙など紫衛那本国が干渉することはない。政情の混乱が一日も早く収束するよう願っている……そう伝えてくれ」
「承知いたしました」

鴇津は軽く一礼して部屋を出ていった。遼牙は額を押さえて机の上に肘を付く。湧き上がるのは達成感より寧ろ、虚脱感だった。

それを振り払うため、遼牙はゆっくり立ち上がった。そして書類棚から陳情書を取り出す。それはひと月ほど前、他ならぬ嵯我の御領の領民から遼牙宛てに送られてきたものだった。

そこには嵯我の余りに出鱈目な領地経営に対する深刻な苦情や、公金の私的流用に関する詳細な報告、農民の困窮などが認められていた。それは陳情書というより嘆願書、いや、救いを求める領民たちの叫びだった。

遼牙はそれに応じて数名の調査員を隠密裡に派遣し、内偵を進めた。上がってくる報告書はどれも眉をひそめずにはいられない内容で、確かに御領は嵯我自身の荒廃に比例するかのように零落していた。

しかし、それでも遼牙は迷っていた。御領への不干渉主義の原則を覆すには、やはり相応の決断を要したのだ。

そんな折、嵯我が紫衛那城を訪れ遼牙に軍の派遣を要請してきた。さらに受け入れられないと分かると瑠羽を誘拐し、遼牙に揺さぶりをかけんとした。

遼牙はついに決意を固めた。御領に潜伏させていた調査員に命じて不満分子の団結を促し、暴動を先導させたのだ。

あっという間に煽られた領民たちは各々武器を持ち、黒鴉城に押し寄せた。それから先は、鴇津が報告した通りである。


―――これで……良かったのか……。私の決断は、民の平和と幸福を願う国王としてのものだったのか、それともあの男への私怨を晴らすため、そして瑠羽を苦しめたことに対する仕返しのために行った権力の私的行使だったのか……


遼牙は窓辺に凭れて、答えの出ない自問を繰り返す。
民の平和と幸福のためだとしたら、もっと他に方法があったのではないかとも思う。ということはつまり……

「私は……権力を使って復讐したのか………」

心神に突き刺さる言葉を敢えて口に出し、遼牙は手の中の陳情書をぐしゃりと握り締めた。その時、

「遼牙さま……」

名を呼ばれて振り向くと、そこには手を胸の前で組んで、心配そうに見つめる瑠羽の姿が。

瑠羽が仕事中、許可なくこうして執務室に入ってくるなど珍しい。いや、初めてのことだった。遼牙は戸惑いを隠さず、

「どうしたのだ……こんな所に」
「あ、あの……鴇津さまが、遼牙さまはお仕事でとてもお疲れのようだから、様子を見てきて欲しい、と」

遼牙は大きく目を見開いてから、ふっと苦笑を漏らした。

「鴇津め……」

瑠羽はおそるおそる近付いて、蜂蜜色の瞳に真摯な輝きを宿してじっと見上げ、

「遼牙さま……お疲れですか？　あの、少しお休みになったらいかがですか？　鞘葉さんにね、美味しいお茶の淹れ方を教わったの。それから、えと、肩をマッサージして差し上げます。それから、新しいお歌も覚えたの―――」

必死に訴える瑠羽の前に跪いて、遼牙はその身体を抱き締めた。

そう、嘗て秘かに誓ったはずだ。王の立場と瑠羽の幸せ、どちらかを選ばねばならぬような岐路に立たされたら、その時は瑠羽を選ぶと。


―――この子を守るためならば、私は何でもするだろう。それが国家元首としてあるまじき行為だったとしても


「遼牙……さま？」

戸惑いながらも抱き返す瑠羽に、遼牙はそっと囁いた。

「もう少し、このままでいさせてくれ……」

そして瑠羽の身体から香るジャスミンの芳香に酔い痴れたのだった。
（Fin）

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