それぞれの愛、それぞれの想い
―3周年記念アンケート御礼小説―
１.
「姫慰安旅行？ なんだそりゃ」
素頓狂な声を上げて身を乗り出す薫の隣で、純はぱちくりと大きく瞬きする。さらに、そんな二人の後ろに立った尭村と片瀬は見事な仏頂面で腕を組み、自分たちを呼び出した生徒会副会長、西園寺を睨み返した。
もちろん西園寺は臆することなくにこやかに見返して、
「言葉の通りだよ。日ごろから新聞部に追い掛け回されている姫たちに、のんびり温泉にでも浸かってもらってストレスを解消して欲しいなと。ま、去年の秋にやった慰労パーティーの豪華版とでも考えてもらえれば」
「おおおお〜〜〜」
「すごぉぉぉい」
無邪気な姫二人は、瞳を輝かせて西園寺の話に相槌を打つ。が、うまい話には裏があるという大人の常識を弁えている王子様たちは、眉間の皺をさらに深くして、
「で、露天風呂に浸かってる姿をカメラに収めて荒稼ぎか？」
「どうせその温泉宿も、日向の息がかかったところなんだろ？」
面白くもなさそうにそう言って、各々の恋人の腕を掴んで立ち去ろうとした。さすがに西園寺も苦笑を浮かべて「まあまあ」と宥め、
「そう考えてしまうのも無理ないとは思うけどね。今度ばかりは違うんだ。純粋な予算消化のためでね」
そして、訊かれる前に説明を継いだ。
「話は単純でね、今年度の生徒会運営費がかなりだぶついているんだよ。このまま収支報告書を提出したら、来年度の予算を削減されかねない。手っ取り早く消化するには、こういう大きなことに使わないとね」
「頭の悪い役所みたいだな。年度末になると急に道路工事が増えるのと同じ道理か」
「否定はしないよ。どこも考えることは同じだ。で、どうかな？ もちろん新聞部が同行するようなことはない。それは僕が保証する。泊まる宿も、確かに日向会長の実家と繋がりはあるけれど、その方が色々我がままも言える。せっかく温泉でのんびりできるのに、アルコールなしってのは味気ないだろう？」
西園寺はさらに、駄目押しの一言を放った。
「部屋は離れに二部屋用意させてもらうよ。日常から隔絶された静寂、艶めいたひととき。極上の夜を過ごせること間違いない。どう？」
「行くっ、行くぞぉ圭祐っ。なっ？」
「尭村さぁん、おんせん、おんせんですっ。離れですぅっ」
すっかり行く気満々の姫二人に可愛くおねだりされて、まだ不審げに額は曇っているものの、尭村も片瀬も渋々承知した。
「やったぁ！ 純、楽しみだなあ。大浴場で泳ごうぜ！」
「はいっ。あと、布団の上でゴロゴロするっ」
きゃらきゃら笑いながらとことんお子様な計画を口にする姫たちを、西園寺は頬を引きつらせつつ眺める。しかしもっと呆れたことに、そんな二人を王子たちは目尻を下げて見つめていた。
―――参ったな。凶暴鬼畜王子も淡白無表情王子もすっかり骨ヌキということか
西園寺は独り言ちて、ほんの少し眩しそうに目を細めて彼らを見つめたのだった。
家をゆっくり出たため、宿に到着したのは漸う日が落ち始めた頃だった。西園寺の言葉通り、離れに二部屋ちゃんと用意されていた。
「お食事まで少しお時間がありますが、如何なさいますか？」
仲居さんの言葉に、「もちろん温泉に入ります！」と率先して答える薫。そして仲居さんが部屋を出ると、荷物の中からお風呂セットを取り出して意気揚々と号令をかけた。
「みんなで入ろうぜ！ ほらほら、早く用意しろよぉ」
もちろん尭村と片瀬は渋い顔で、
「みんなで？ 四人で風呂に入るのか？」
「当たり前じゃん。せっかく一緒に来たんだから。なっ、純」
はいっ、と笑顔全開で答えて薫の後に付いて行こうとする純を、尭村は腕を伸ばして引き寄せる。そして険しい声で、
「却下。お前らと裸の付き合いなんて冗談じゃねえ」
「それはこっちの台詞だ。薫、二人で入るぞ」
薫も純も顔を真っ赤にして抗議しようとしたが、いつになく険凶な眼差しに射竦められて黙り込む。これ以上我がままを通してキレられたら、せっかくの旅行が台無しになってしまう。
「……分かったよっ。じゃな、純。また後で……」
「はぁい……」
むっつり膨れつつも、恋人の腕に身体を委ねる。尭村と片瀬は満足そうに頷いて、その腰を抱き寄せたのだった。
風呂から上がり、お揃いの浴衣を着た四人の前には、色とりどりの小鉢が並べられていた。どれも旬の食材や地のものを使った、繊細で情緒溢れる料理ばかり。
なのに何故か薫と純は唇を尖らせ、時折怨めしげに向かい側を見つめた。
「なあ〜、二人ばっかりずるいぞ。俺らも晩酌っ」
卓上に身を乗り出して言い募る薫に、隣の純も同調するように頷く。が、尭村と片瀬は知らんふりで、互いに差しつさされつやっている。
「旨いな、この酒」
「地元の名酒だそうだ。近くに酒蔵があるんだと」
豪快に無視された薫は、にゅっと腕を伸ばして力づくで徳利を奪おうとする。が、片瀬に素早く妨害されてうぐぐぐ…と歯噛みする。
「圭祐ぇっ、俺も、俺もちびちびやりたい！ 純とこう、しっとり差しつさされつ―――」
「黙れ小猿。去年のパーティーでの失態を忘れたとは言わせねえぞ」
憮然とした表情で告げる片瀬の隣で、尭村がそうだそうだと言わんばかりに頷いている。
「あ、あれは確かに俺らが悪かったけど、でもぉ……」
途端に歯切れが悪くなり、俯いて何やらごにょごにょ続ける薫。しかしその隣で純は、全く違う考えに囚われていた。
―――何かこの二人……お似合いかも………
すぐ目の前で酒を酌み交わしている二人。尭村は寛いだ様子で浴衣を着崩し、普段よりも柔らかな空気をまとっているように見えた。その隣にいる片瀬も同様で、微かに湿った髪が肌に貼り付いて妙に艶っぽい。
尭村と片瀬が聞いたら額に青筋立てて、それこそ血管がブチ切れそうな勢いで否定するだろうが、一度この考えに囚われてしまった純はどんどん深みにはまっていった。
―――片瀬先輩……何だかとっても綺麗だし……
自分みたいな子供が隣にいるより、ずっとしっくりいっているように見えた。片瀬にまで嫉妬してしまう自分が情けなくて、思わずハア、と濃厚な溜息をついてしまう。すると薫は何を誤解したのか純の腕をぐいと掴んで、
「そんな落ち込むことないぞっ。俺らは俺らで楽しくやろうぜ！ 酒なんてなくてもいいよーだ。なっ？」
「えっ？ あ、はい、そうですね……」
ちくちく胸を刺す疼きを抑えて、純は淡い笑みを返す。薫は純の腕を掴んだまま立ち上がり、
「もういっかい風呂に入ってこようぜ。今度は二人で。なっ？」
屈託ない笑顔で純を誘う。案の定尭村と片瀬は渋い顔をして引き留めようとしたが、薫はんべっと舌を出して、
「お前らは二人で楽しくやってればいいだろっ。俺は純と一緒にのんびり温泉を堪能してくるよお」
そう言って純をぎゅっと抱き締め、「おんせん、おんせんっ」と歌いながら部屋を出た。追い掛けようと腰を浮かす尭村を片瀬はそっと制して、
「好きにさせとこうぜ。離れ専用の露天だから他の客が来ることもねえし」
「……お前はいいのかよ」
「まあ、気分は良くはないが。秋原だって一応男だしな。でもこのくらいは自由にさせてやってもいいかもな」
片瀬の宥めに、尭村は渋々ながらも浮かせた腰を戻した。片瀬は無機質な面てにごく淡い笑みを乗せ、「ほら」と言って銚子を掲げる。尭村は無言のまま盃を突き出して、なみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。
そんな些かやけっぱちな飲みっぷりを、片瀬は苦笑と共に見つめる。が、すぐに顔を引き締め深慮をにじませた声で、
「なあ尭村。お前……将来のこととか考えたことあるか？」
「ない。先のこと考えたってロクなことねえよ」
僅かなためらいも見せず即答を返す尭村に、片瀬は半ば感心し、半ば呆れた。
ちょっとは考える仕草ぐらい見せろよと言おうとしたのが、はたと思い直す。もしかしたら尭村は、二人きりになればこういう話になると予想していたのかもしれない。
態度はひたすらふてぶてしくて図々しいくせに、そういう思考の繊細さも持ち合わせている男なのだ。売り言葉に買い言葉で、適当に勢いだけで答えたわけではなさそうだ。だから片瀬は答えを素直に受け入れた。
「そうか。ま、お前の言う通りかもしれねえな。どんなに悩んだって考えたって、結局なるようにしかならない。でもそこまで思い切れるようになるのは……難しいな」
そう言って盃を空ける片瀬を、尭村はちらと横目で眺めた。そして幾分柔らかな声で、
「俺だって、完全に吹っ切れているわけじゃない。悩んだって仕方ねえと分かっていても、うじうじ悩んじまうのが人間だからな。俺と共に生きるということは、あいつの大きな可能性をひとつ潰すことになる。果たしてそれを、愛しているのだから仕方ないと片付けてしまっていいのか、と……」
片瀬は小さく息を飲んで、尭村の端整な横顔を見つめた。挑み掛かるかのように空の一点を凝視するその顔は、剣呑な美とも呼び得る完璧な輪郭を有している。
非の打ちどころのない美貌、明晰な頭脳。誰もが羨む稟質を生まれながらに備えた彼が、答えの出ない問いの泥沼にはまっているのだ。愛情ゆえに。
「つい最近、ある女に言われた。俺がそう思わなくても、純は子供が欲しいと思うかもしれない。そうなった時どうするのか、と―――」
「はッ、キツい女だな」
「全くだ。嫌になる。でも、避けては通れねえ。ま、今うだうだ考えたって仕方ねえってのも正論だけどな」
片瀬は黙って目を閉じ、尭村の言葉を反芻した。そして出た結論は―――
「……なるようにしかならない、か」
「お、ついに悟ったか」
片瀬は目を開けてじろりと睨み返し、
「言ってみただけだ。俺はお前みたいに図々しい思考回路を持っていない」
「片瀬君は繊細なんだな。ちょうどいいじゃねえか。藤崎は単純バカだから、足して２で割りゃいい塩梅だ」
片瀬は神妙な顔で「確かにそうだな」と肯定する。尭村は「否定しねえのかよ」と呆れたように言って笑った。
それからは深刻な話題が口にのぼることはなく、酒を舐めながら取り留めのない会話を交わした。やがてどちらからともなく柱の時計を確認し、
「けっこう時間が経ってるな。様子見に行ってみるか」
「そうだな。ったく、世話の焼けるガキどもだ」
やれやれと肩を竦めつつ、二人は同時に立ち上がった。が、気付かぬうちに尭村に浴衣の裾を踏まれていた片瀬はバランスを崩してよろめき、咄嗟に尭村の腕を掴んだ。
「うわっ」
そのまま二人の身体は同じ角度で傾き、もつれ合ったままその場に倒れ込んだ。
その少し前―――
「ふわぁぁぁ、いいお湯だったなあ。食事の前にも温泉、食事の後にも温泉。この贅沢さが醍醐味だよなっ」
身体からほかほか湯気をたちのぼらせ、薫は屈託ない笑顔を向けた。純もつられて「ふふっ」と笑う。途端に薫は薔薇色の頬をさらに赤く染め、純にぎゅっと抱きついた。
「くぅ〜〜、純かわいいっ。ぎゅーってしたいぞお」
「ひゃあ。もうしてますって」
他愛もないじゃれ合いだが、二人の愛らしさが相乗効果を生んで周囲の空気すら薔薇色に見えてくる。もしここに尭村と片瀬がいたら、間違いなく自分の恋人をさらって部屋へ連れ込んでいただろう。
暫くそんな戯れを楽しんでいた二人だったが、純が何気なくついた溜息から事態が変わった。薫はちょんと首を傾げ、
「純？ どした？」
「い、いえ、あの……」
何でもないです、と言いながらも、力なく項垂れる純。薫はその顔を覗き込んで、
「なんか元気ないぞぉ。ほらほら、おにーさんに話してごらん」
薫にこう言って励まされるのは何度目だろう。尭村の本心が分からない時、不安に苛まれた時、深刻にならないよう明るく朗らかな口調で話し掛けてくれた。だから純も、気後れすることなく本心を打ち明けられるのだ。
「僕……薫せんぱいが羨ましいです……」
「俺が？」
「はい。いつも前向きで、強くて、片瀬先輩との信頼関係も固くて……」
薫はぴたりと立ち止まり、純の顔をじっと見つめた。その真直ぐな視線、澄んだ眼差しに純は脅威を感じ、すっと目を逸らす。
ああ、この人は綺麗だ。これまで歩んできた穢れなき道が、この瞳の奥に見えるかのよう。だからこそ、自分に等身大の自信を持つことができるのだ。それに引き替え僕は―――
「……純は、尭村のことがまだ信じられないのか？」
神妙な声で訊ねる薫に、純は淋しげな笑みと共に首を振る。
「いいえ、違います。僕は……自分が信じられないんです。あの人に愛される価値があるのかと………」
だから、小さなことで不安を覚えてしまう。片瀬にすら微かな嫉妬を感じてしまう。そして、そんな醜い自分がますます嫌いになってゆく。
この悪循環を断ち切るには、自分が強くなるしかないと分かっているのだけれど―――
「だいじょうぶだよ、純。少しずつ、少しずつ進んでいけばいい」
「薫せんぱい……」
「俺だって、未だに夢を見るんだ。圭祐に背中を向けられて、置き去りにされる夢。そのたびに俺さ、目が覚めた後で圭祐に言ってやるんだ。またお前に置いてかれる夢みたぞ、って。そしたら……」
「そしたら？」
「そしたらあいつ、必ず俺を抱き締めて、“俺はここにいるぞ”ってゆってくれる。そのたびにほんの少しずつだけど、不安が消えていく気がするんだ。これを繰り返していれば、いつかきっと……」
薫は力強い笑顔を向けて、純の肩を優しく叩いた。
「だから純もさ、不安を感じたら抑えるんじゃなくて、そのたびにぶつければいいんだよ。尭村なら大丈夫。あいつ打たれ強いから」
肩に置かれた手の温もりとともに、薫の言葉が身体の中に浸透してゆく。ついさっきまでは脅威だった澄んだ眼差しを受け止めて、純は「はいっ」と元気いっぱい頷いたのだった。
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