Sweet Little Honey
＜3＞
その夜。朔斗の家ではハロウィンパーティーが始まろうとしていた。広いリビングに入った大門は、目を丸くして「これはすげえな」と漏らす。室内は、黒とオレンジのハロウィンカラーで盛大に飾り付けられていたのだ。
「朔斗ぼっちゃんと私で飾ったんですよ。ぼっちゃんは本当に、この日を楽しみにされてましたからねえ」
家政婦の女性が目を細めてそう言った。その顔には、朔斗に対する純度100パーセントの愛情が息づいている。大門は目を合わせることができず、ふいと顔を背けた。
───そうか、そりゃそうだよな。久しぶりに親に会えて、しかもパーティーだなんて。クリスマスも誕生日も会えなかったしな。
クリスマスも誕生日も、朔斗は両親とともに過ごすことができなかった。大門が一緒にいて祝ったし、朔斗はとても喜んでいたが、大門に気を遣って淋しくないふりをしていたのだろう。そういう子供らしくない気遣いができてしまうところが、可愛くもあり切なくもある。
───やはり俺のエゴなのかもしれん。
再び罪悪感が頭をもたげる。大門は溜め息を押し殺し、部屋の隅に腰を下ろした。
今夜のパーティーには、姉夫婦の友人がたくさん招かれていた。職業柄、音楽関係者が多く、大門のような裏稼業の人間は正直肩身が狭い。パーティーとやらが終わるまで、隅で息を潜めているつもりだった。
「皆さま、今夜の主役が登場です！」
家政婦が声を上げ、リビングの扉に手を掛けた。そして大仰な仕草を伴って開けると、そこには───
「とりっくおあとりーと！」
笑顔でハロウィンの決め台詞を叫ぶ朔斗だったが、大門は見た瞬間に固まった。黒とオレンジのワンピース。スカートはちょっと腰を曲げればお尻が見えてしまいそうなほどのミニ丈で、上半身はキャミソール仕様になっている。そして黒い猫耳に尻尾。
「これはこれは。可愛い黒猫魔女の登場だぞ」
「朔斗ちゃん、お菓子あげる！」
「おじさんもお菓子あげるぞ。ほらほら、抱っこさせてくれ」
朔斗は黒猫魔女のコスチュームで「とりっくおあとりーと！」と笑顔を振りまき、大人たちに抱き上げられてはきゃっきゃっとはしゃいでいる。
それは、子供らしいおふざけなのかもしれない。しかし、大門には耐えられなかった。嫉妬ももちろんあったが、こんな大人に媚びを売るような真似をさせたくないという、義憤めいた感情も強かったのだ。
「いい加減にしろッ！」
“本物”が出す本気の怒声は、その場にいる全員を黙らせるのに十分過ぎる威力を持っていた。招待客らは硬直し、声の主をぽかんと見つめる。
「子供にあんな格好させるんじゃねえッ。おふざけじゃ済まされねえぞ！」
立ち上がって凄む大門に、いち早く反撃したのは彼の姉だった。
「はァ？ 何言ってんの。パーティーの余興にいちいち目くじら立てるなんて───」
「朔斗を、てめえの息子を余興扱いしてんじゃねえよ」
「なに一人で熱くなってるのよ。せっかくの楽しい夜が台無しだわ、もう」
どうやら、大門を相手にしないことにしたようだ。くるりと背中を向け、招待客に向かって芝居がかった口調で、
「皆さま、不肖の弟が失礼致しました。どうか、気になさらずに。さ、パーティーを続けましょ。朔斗、あなたも気にしなくていいからね」
すると、多少ぎくしゃくした空気が残ったものの、再び談笑の輪が広がった。大門はグッと拳を握り締める。分かっている。彼らの方が“正常”なのだ。自分は朔斗に対し邪な感情を抱いているから、過剰に反応してしまうのだ、と。
「クソッ」
大門は荒々しい歩みで部屋を出た。何もかもが腹立たしかった。ちょっと頭を冷やそうと、マンションを出て公園に足を向けたところで、背後から呼び止められた。
「おじちゃん！ 大門おじちゃん！」
「朔斗？！」
驚いて振り向けば、黒猫魔女の格好のまま必死に駆け寄る朔斗が。
「おじちゃん、ふざけてごめんなさい。ぼく……」
パパとママのいる楽しいパーティー会場を抜け出して追いかけてきたのか。そう思うと、大門の中でどろりと滞留していた黒い感情も消えてしまった。
「いいか、朔斗。世の中には色んな大人がいる。朔斗みたいな子供をさらって、悪いことをしてやろうってヤツもいるんだ」
膝を折ってしゃがみ込み、諭すように語りかけると、朔斗の顔に怯えの翳が差した。
「朔斗はその……か、可愛いから、こんな格好をしたらそういう悪い大人に目を付けられるかもしれねえ。いや、パーティーに来てる連中がそうだって言いたいわけじゃないが、気をつけるに越したことはない。分かるか？」
朔斗はこくんと頷き、怯えた表情のまま訊ねた。
「もしぼくがわるいひとにさらわれたら、おじちゃんはたすけてくれる？」
「あっったりまえだ！ 地球の裏側だろうが必ず助け出してやる。そんで不逞の輩はタマ引っこ抜いて竿輪切りにして───」
「タマ？ サオ？」
「こっ、こら、朔斗！ お前がそんな言葉口にしちゃ駄目だ」
当然ながら、なぜ駄目なのか分からない朔斗は、ぱたぱたと瞬きして首を傾げた。そして小さく震えたと思ったら、「くちゅん」と可愛いくしゃみをした。
「そんな格好じゃ外は寒いだろ。ほら、これを着てろ」
大門は上着を脱いで、朔斗の肩に掛けてやった。すると朔斗は襟を引き寄せ、顔をうずめて笑った。
「おっきくてあったかい。それに、いいにおいがするよ」
「なっ……んなわけねえだろ！」
「ううん、するもん。おじちゃんのにおい」
大門は思わずその場にへたりこむ。こんな可愛いことを言われて冷静でいられるかちくしょう！───と心の中で叫んでも後の祭り。すーはーと深呼吸して、
「……と、とにかく部屋に帰るぞ」
「うん。おへやにかえってきがえるね」
「おう。それがいい」
二人は手を繋いでマンションに戻り、パーティー会場となっているリビングを素通りして朔斗の部屋に入った。
「んーと、どのおようふくにきがえようかなあ……」
朔斗がタンスを漁っていると、リビングから楽しげな笑い声が聞こえてきた。朔斗が自分を追いかけてくれたのは嬉しいが、そのせいで両親との貴重な時間が奪われてしまった。抱え込んで久しい罪悪感が、ずきずきと疼き始めた。
「……なあ、朔斗。お前、本当は父ちゃんや母ちゃんと一緒に外国で暮らしたいんじゃねえか？」
着替えを探していた朔斗は、大門の神妙な問いかけに振り向いて首を傾げた。
「ぼく？」
「ああ。なんか、俺がこっちに引き止めちまったからな。お前、俺に気を遣って淋しくないふりをしてるんだろ」
大門は大きく息をついた。胸の疼きが激しさを増してきたが、これは罪悪感がゆえではない。ずっと抑え込んできた言葉を喉の奥から引き剥がすことで生じた、リアルな痛みだ。
「だからな、朔斗。遠慮しないで外国に行っていいんだぞ。やっぱり、ガキは親と一緒にいるべきだ。俺はそう思う」
可愛い可愛い朔斗。本当は手放したくない。傍に置いておきたい。だが可愛いからこそ、大事だからこそ、親の元に返してやるべきではないのか。それが、本物の愛情───
「おじちゃんはっ……ぼくのことがいらなくなったの？ きらいになったの？」
朔斗の顔がくしゃりと歪んだ。いつも明るい輝きを宿している瞳が、涙で大きく膨らむ。
「バッ、バカなこと言うな！ その方がお前のためだってことだ。お前の幸せの……」
大門の言葉を遮って、朔斗は叫んだ。
「僕はあなたの傍にいたい！ それだけなんだ！」
大門は思わず息を呑む。これは、本当にあの朔斗だろうか。いつものふわふわした天使ではない、保護欲をそそるいたいけな子供でもない。情熱に駆られた生身の人間が、そこにいた。
「さ、朔斗……」
確かにいつもと違う。しかし、生々しい熱を宿した瞳で挑むように見返す朔斗は、とても、とても美しかった。
「おじちゃん、おじちゃぁん……ぼく、いいこにしてるから。おじちゃんのいうことちゃんときくから、だから……ぇっ、ぇぇっ……ここに……いるぅ……」
ぎゅっと握った拳を目に当てて、えぐえぐと泣くのはいつもの朔斗だ。大門は慌てて駆け寄り、苦しそうに上下する肩を優しく抱き締めた。
「悪かった。そういうつもりで言ったんじゃねえよ。俺だって、お前と一緒にいたいと思っている」
「ほんと……？」
「ああ、本当だ。それにな、お前は十分いい子だ。もう少し我がまま言ってもいいくらいだぞ」
すると朔斗はくすんと鼻をすすり上げ、涙でたわむ睫毛の向こうからじっと見つめて、
「じゃあ、かみなりがなったときはいっしょにねてくれる？」
「いっ、いいいいっしょに、か？」
「うん、だめ？」
朔斗ってそんなに雷が苦手だったか？ いや、これまで怖いのを我慢してたに違いねえ。しかし一緒に寝た日にゃ俺の暴れ棒がいよいよ制御不能のマッドマックスだぞちくしょうが！ けど───
ぐるぐる考えていた大門に、朔斗はもう一度「だめ？」と上目遣いで窺う。もっと我がまま言っていいと大口叩いた手前、却下するわけにもいかず、大門は半ばやけっぱちで「分かったよ」と了承した。
「やったぁ！ おじちゃんありがと。だ～いすき！」
手放しで喜ぶ無邪気さに頬を緩める。さっきまで泣いてたのにもうこの笑顔かよ。まったくしょうがねえなと苦笑いしていると、唇に途轍もなく柔らかいものが触れた。
「…………」
大門、フリーズ。からの熱暴走。
「うおおおおおおおーーーーーーッ」
室内にビリビリ響く咆哮をまき散らすと、大門は部屋を飛び出した。そして何事かと驚いて顔を出す客たちに構わず走り去る。
───キ、キキキキキススススススーーーーッ！！
気付けば夜の街を疾走していた。呪文のごとく『キスキスキスキス……』と呟きながら。ようやく燃料が切れた頃には、隣町の知らない公園に倒れ込んでいた。
「朔斗……俺の朔斗ぉッ！！」
芝生を掴んで愛しい人の名を呼ぶ派手なスーツを着た大柄の男は、どこから見ても絶賛不審人物だが、もちろん本人は気にしない。
───成人するまで待てねえッ。十八だ！ 十八ならいいだろ！ よし、決めたぞ。十八まで我慢だ！
大門は自分に言い聞かせると、灼熱の暴れ棒を鎮めるためしばらくその場に突っ伏していた。
一方、一人残された朔斗は、「まったく……」と呟いて大門が飛び出していった扉を見つめた。そしてくすんと鼻をすすり上げる。
「まったく、とんでもないこと言い出すんだから。本気で泣いちゃったじゃないか」
もちろん、大門が自分のことを考えた上で言ってくれたことは分かっている。しかしそれは、まだ理性が勝っている証拠だ。ハロウィンコスプレで悩殺してやろうと思ったのに、それどころではない事態になってしまった。
「でもま、いっか。お陰で一緒に寝るって言質も取れたし。自然な流れでキスもできたし。触れるか触れないか程度のごく軽いキスだけどね」
それでも、大門には相当効いたようだ。きっと今ごろ、成人するまで待てないと悶えていることだろう。それでいい。こっちだって、そこまで待つつもりなどない。少しずつ大門の理性を崩して、できるだけ“その時”の訪れを早めてやる。朔斗は固く誓ったのだった。
そして事実、二人が結ばれるのはそれから七年後。朔斗十四歳の夏だった───
＜Fin.＞
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