―月に游ぐ番外編―
―月に游ぐ番外編―
―――視線を……感じる………
透麻はご飯茶碗を置いてそっと顔を上げた。すると茶碗を持ったままこちらを凝視していた游月と目が合った。
しかし游月は何も言わず、慌てて目を逸らしてしまう。そしてわざとらしく醤油などを探すふりをする。
その仕草が可愛くて頬が緩みそうになるが、敢えて引き締めて真面目な表情を拵えると、静かに問い掛けた。
「ねえ游月。何か私に言いたいことがあるのではないですか？」
游月は文字通り飛び上がって、大きく見開いた眼で見つめ返してきた。この表情だけで透麻の指摘の正しさは明らかだと思われるが、游月はぶんぶんと首を振って豪快に否定した。
「なっ、なんにもないですっ」
そして眼を左右に泳がせて、透麻の追及をかわそうとする。
―――本当に、嘘のつけない人ですね
透麻は胸の奥がほんのり温まってゆくのを感じながら、優しく問い詰めた。
「欲しいものなどあったら、遠慮なく言っていいんですよ。游月の望みを叶えることは、私にとって大きな喜びなのですから。黙っていられる方がずっと辛いです」
游月の頬が、みるみるうちに紅く染まってゆく。唇を震わせて何か言おうとしたが、言葉を押し込めるように閉じてしまった。さっきより控え目に首を振って、
「ホントに、何にもないの。気にしないでください………」
肩をすぼめて、小さく畏まってしまった。透麻は「そうですか…」と答えて溜め息をついた。そして、少し荒療治が必要ですね、と声に出さず呟いた。
二人一緒のバスタイムでは優しくて、思わずうっとり身を委ねてしまうほど丁寧に愛情込めて肌を磨いてくれたのに、それから寝室へ移動した透麻は何故か豹変していた。
裸のままベッドの上に横たえた游月を上から見下ろすと、剣呑な笑みを投げかけて、
「さあ、お仕置きの時間ですよ。私に隠し事をするいけない子は、少し懲らしめてあげねばなりませんね」
「ぃ………ぃゃ……………」
闇を背負って立つ透麻の凶笑、その造形的な美しさの奥に潜む欲望の煮凝りを敏感に察知した游月は、怯えと同時に甘美な疼きを覚えた。
祈るように胸の前で手を組んで小さく首を振ったものの、お尻の奥に灯った疼きは消えるどころかますます拡がって、四肢全体にまで及ぼうとしていた。
もちろん、そんな游月の高まりに透麻が気付かぬはずもない。
「おや…？ 游月は興奮しているようですね。そんなに私に犯されたいですか？」
游月はぷるぷると首を振り、血流に乗って拡がろうとする情欲を堰き止めようと腰をひねった。すると、腰からヒップにかけての生々しいラインが薄闇にくっきり浮かび上がり、この空間をさらに淫らなものにした。
透麻は游月の傍らに腰かけて、その艶めくラインを指でなぞる。それは游月にとっては紛れもなく愛撫の類いで、皮膚の上をぞわぞわと這い上がる快感に悶えた。
「んぁ………ァ…ン…………」
透麻がくす、と明らさまな嗤いを漏らすと、游月は羞恥の余り両手で顔を覆った。
「游月、顔を見せなさい」
「ぃゃ………」
白い腕を掴んで強引に引き剥がし、
「たったあれだけの刺激で感じてしまった淫乱な游月。あなたは本当に悪い子だ」
言うが早いか、噛み付くようなキスで唇を封じられる。
「ん………ぅ…ぅ…………」
荒々しい動きで口腔を撹乱する熱い舌は、怯えたようにちぢこまった游月の舌を呆気なく絡め取って好きなだけ弄ぶ。ざらざらとこすり上げたり裏側をつい、と舐め上げたり。
そのたび游月はお尻をよじって快感を伝えた。もう抵抗しようなどという気は失せ、湧き上がる情欲の奔流に積極的に身を任せた。
「ぁ………ふぁ…………」
ようやく解放された唇から甘い余香漂う吐息をこぼし、とろんとした眼差しで透麻を見つめる。その匂い立つような色香に透麻は一瞬陥落しそうになったが、何とかこらえてお仕置きを続行した。
白く平らな胸に手を伸ばし、下から揉み上げる。そしてぷっくりと盛り上がった紅い実を、舌先でぬるぬると愛撫し始めた。
「ああっ……ん……やぁだぁ…………」
相変わらずじれったい刺激に弱い游月。密度の高い喘ぎを漏らしながら透麻の肩を押し戻そうとするが、もちろん敵うはずもない。
透麻が頭を動かすたびに、肩口から垂れた髪が胸や乳首をさわさわと掠めて、舌や指とはまた違った快感を刻み込む。
しかも、空いた片手を股間に滑らせて、すでに愛液でどろどろの幹を扱き始めた。その途端、新たな蜜が溢れ出して透麻の手に生温かい雨を降らせた。
「ああ……この真っ赤な果実はどんな味がするのかな。食べてみましょう」
執拗な愛撫で紅く充血した乳首に優しく歯を立てて、少し強めの刺激を与える。游月は喘ぎを通り越した啜り泣きをこぼし、許しを乞うた。
「ぇっ……ぇぇっ………も、ゆるしてぇ…………ああっ、たべちゃいやぁぁ………」
しかし透麻は容赦なく歯を立ててかじり、強く吸い上げる。そのせいで、艶めかしく腫れ上がった乳首は剥き出しの粘膜のように、微かな吐息にすら反応してしまうほど敏感になってしまった。
「食べてはいけないのですか？ では、どこなら食べてもいいのかな」
游月はくしゅくしゅと鼻をすすり上げながら、股間に手を伸ばして「ここ…」と指差した。透麻は素直に頷いて、蜜塗れの游月自身を深く咥え込んだ。
「はぁっ…………ァ………とう…まさぁん………もっと、吸って…………」
透麻の口内で、游月の脈動が激しくなってきた。それに迎合するように、先端をはむはむと甘噛みしながら強く吸い上げると、濃厚な蜜がじゅわっと溢れた。嬌声は高まり、滑らかな腹はひくひくと蠕動する。射精の前兆。
しかし透麻はいったん愛撫を止めると、予め用意しておいた水色のリボンを取り出して、游月の根元を二重に縛り付けた。そして小さなリボン結びを作って満足そうに目を細める。
「と…うまさん……？」
もちろん游月は戸惑いを隠せず、視線で問い掛ける。対して透麻は笑顔を返し、
「ピンクの方が可愛いかなとも思ったのですが、やっぱり游月には青系の色が似合いますね」
そして游月の戸惑いを無視して脚を大きく広げ、どろどろに濡れそぼった蕾に指を這わせて一気に突き入れた。
「ああっ、あっ、ん…………っふぅん……………」
「すごい……奥の方までうねって………指だけで達してしまいそうです」
感心したように言いながら、指を屈伸させて急所を巧みにこする。これまでの執拗な愛撫で蕩けきっていた游月だったから、すぐに吐精してもおかしくはなかった。
しかし、リボンによってきつく縛められたペニスは欲望を吐き出すことができず、真っ赤に膨れて苦しそうに喘ぐしかできなかった。
「透麻さんっ、透麻さぁん………ゆるしてっ、これほどいてぇ…………」
腰を跳ね上げ、涙を撒き散らして哀願する游月の媚態に恍惚と見入って、
「おやおや。ほどいてしまったらお仕置きの意味がないでしょう？」
愉しそうに目を細めて（実際愉しくて仕方なかったのだが）奥まで丹念にほぐし、熱い楔が打ち込まれるのを今か今かと待ち受けている飢えた蕾を焦らす。
「ああっ、ゆびっ、ゆびいやぁ………早く、早くシテ………犯して…………」
無意識なのか透麻を煽るための策略なのか、游月は腰を淫らに波打たせてクチャクチャと秘孔を鳴かせ、半開きの唇から濡れた舌先をちらと垣間見せた。
「……っ、望み通り……犯してあげますよ…………」
無意識か策略かはさておき、透麻がいとも簡単に煽られてしまったことは確かだった。
指を引き抜いて、奥床しく且つ艶めかしく綻んだ蕾を、カチカチに勃ち上がった自身で大胆に開花させる。
「んあっ、ああっ、あっ………ァ……ァ…………」
侵入してきたモノの余りの圧迫感、重量感に游月は悲鳴すら忘れ、喉の奥でくぐもった喘ぎを繰り返すだけ。
しかしそれは透麻も同じ。熱くうねる肉の歓迎を受けて、脳天まで駆け上る快楽の電流に我を忘れて呻いた。
「ぅぅ………くッ……………」
小刻みに揺らしながら透麻が根元まで押し込むと、二人は暫しそのままで互いの熱を味わった。
「ゆづ…き……動きますよ………」
ようやく我を取り戻した透麻が腰を使い始めると、グプッ、グプッという生々しい注挿音が結合部から漏れ聞こえ、二人の昂奮をさらに増幅させた。
「すご…い、ゆづき……あなたの…………今にもとろけて…しまいそうだ………」
透麻は徐々に腰の動きを早めつつも、もうひとつ自分の為すべきことを実行した。すっかり快楽の色に染まり上がった游月の耳許に唇を寄せて、
「游月……もう一度訊きますよ。私に言いたいことがあるのでしょう？」
「ん……んっ……ぁ……ん………ない…もん…………」
この期に及んで否定する游月。透麻は行為の最中とは思えぬほど冷え冷えとした声で、
「他に好きな人ができましたか？」
ふやけかけていた游月の意識は、さすがにきりきりと音をたてて覚醒した。大きく目を見開いて透麻を見つめ、何度も何度も首を振って否定する。しかし、
「嘘おっしゃい。だから伝えたくても伝えられず、私の顔色を窺っていたのでしょう？ さあ、正直に言いなさい」
「ちがっ……ちがう…………ぅぁっ…………ぁぁっ…………」
游月の答えを遮るかのように、透麻は暴力的な突き上げを始めた。
長い黒髪を乱して獲物を犯す姿は妖美としか言いようがなく、前髪の隙間から覗く瞳は異常なほど澄み切って、時折掠める閃光は愛情と同量の狂気を孕んでいた。
「いつまで……そうやって意地を張っていられるかな？ 游月………容赦しませんよ」
透麻の低い低い宣告は、游月の心臓を鷲掴みにして揺さぶった。游月は再度許しを乞おうとしたが叶わなかった。突然、これまでとは比較にならないほどの享楽が四肢を駆け抜けたから。透麻がついに、急所を攻め始めたのだ。
「ひぃッ、ぃぁ………ぁ…ぁぁ…………」
口端からとろとろと唾液をこぼし、大きく見開いた瞳で虚空を凝視する游月は、快楽という魔物に囚われた哀れな奴隷のようだった。しかも、最終的な解放は許されていないのだ。
「ぁ…ぁ………と…うまさん……ゆる…してぇ………イカせてよぉ…………」
「まだ………だめですっ…………」
腰をひねって奥の微かな膨らみをグリッと抉り上げる。游月はシーツを引き剥がして悶え、叫んだ。
「言うからぁっ、ぜんぶ言うからゆるしてっ、イカせてぇ…………」
透麻は口許を嫌らしく歪めて嗤い、留めとばかりに奥をグリグリと掻き回した。そして水色のリボンに手を掛け、
「いいですか、あなたは私のものだ。私の元から離れようだなんて、絶対に…………許さん」
普段は周到に包み隠している昏く険しい本音を叩き付けて、素早くリボンをほどいた。
「きゃああっ、ああっ、ああっ、ああ…ん………んっ………ふ…ぅ…………」
嬌声と共に、熱い飛沫を自分の胸に降りかけた游月。それとほぼ同時に、どくどくと注入音を響かせて透麻の精が注ぎ込まれた。
「と…うまさん………ぎゅっとして…………」
甘えるように伸ばされた游月の腕を絡め取って、繋がったままその身体を抱き締める。そして涙で濡れた目尻や頬に何度も唇を押し付けて、消え入りそうな声で詫びた。
「また……泣かせてしまいました。申し訳ありません………」
游月は自分の方から唇を突き出してちゅっと口付けると、
「セックス中の涙は……幸せの裏返しだから謝らないでっていつも言っているでしょう？ それよりも……他に好きな人ができたのかなんて、思ってもいないこと言って僕を困らせるなんて、そっちの方が嫌です」
透麻は抱き合ったまま身体を起こし、游月を自分の膝の上に乗せた。
游月を貫いたままの雄は相変わらず太く硬く、体重がかかったせいで深まった結合に新たな快感を呼び覚まされたのか、游月は「あぁ…ん」と切なく鳴いて透麻の肩にすがり付いた。
「あなたを…疑っているわけではありません。でも、全く不安がないと言えば嘘になる」
「透麻…さん………」
「昨日より今日、今日より明日とあなたはますます美しくなってゆく。ちょっと外に出ただけで、誰かに見初められて言い寄られることだって十分にあり得るでしょう。だから―――」
透麻はいったん言葉を切ると、背中に回した腕に力を込めてきつく拘束した。游月は苦しげに息を吐いておそるおそるその顔を見上げる。
「――本当は……あなたをここに閉じ込めてしまいたい。誰の目にも触れさせたくない。私の視界だけを照らす月として…………」
游月の背筋を、甘い戦慄がざわざわと這い上がってゆく。感情の昂ぶりに同調するかのように、奥に埋め込まれた透麻自身が激しく脈打ち始めたから。
しかしそれだけではなかった。熱く掠れた囁き、自分を見下ろす透徹した黒瞳に狂熱的な所有欲の鼓動を感じて、游月は慄えた。喜悦と恐怖の融合。
「僕は………ああ………あなたのためだけに……あなたの世界だけを照らし続けるの。これからも、ずっと…………」
透麻の表情が徐々に和らいでゆく。游月の双丘を掴んで上下に揺り動かし、自分もゆったりと腰を突き上げながら、
「游月…愛してる………私の……唯一の光明…………」
快楽の高まりに身を委ねた。
「さ、游月。約束ですよ。ちゃんと話してくださいね」
あれから何度も絶頂を迎え、文字通りとろんとろんに蕩けた身体をお風呂に入れてもらい、シーツを新調したベッドに再び横たえられた。
このまま抱き合って眠ってしまえば、翌朝には忘れているだろうと游月は少し安心していたのだが、甘かった。
目の前で追及の姿勢を崩そうとしない透麻は、淡い笑みを浮かべてはいるものの、内心では隠し事をされたことにかなりショックを受けているのは明らかだった。
これまでは、透麻というのは感情を表てに出さず、大人の曖昧な笑みで内心を覆うのに長けている人だと思っていたのだが、深く付き合うようになってからは、その奥にあるものがよく解るようになってきた。
游月の澄んだ眼差しの前では、透麻の鎧も無効となってしまうのだ。
「はい。分かりました。あの………ちょっと待っててくださいね。今持ってきますから」
観念した游月は、素直に頷いてベッドを下りた。そして戸惑う透麻を置き去りにして、自分の部屋に向かう。
戻ってきた時には、手に一冊のスケッチブックを持っていた。頬を真っ赤にしてそれをずいっと差し出し、
「あの……これ。僕が書いたの。読んでください」
透麻は黙って受け取ると、ページを開いた。
「これは―――」
童話でもない小説でもない散文詩でもない、不思議な物語だった。透麻は思わず夢中になって読み耽る。
それは、自分に自信のない月の話。何とか自分の力で輝こうとがんばるけれど、偉大すぎる太陽の前で萎縮してしまい、冷たく蒼褪めて震えるしかできない。
しかしある時、一人の詩人が夜空を見上げ、月の美しさを讃えて詩を捧げてくれた。悦んだ月はある夜は紅く、またある夜は金色に輝いて、詩人の世界を美しく彩り続けたのだった―――
「游月……この挿し絵もあなたが？」
「はい。挿し絵なんて呼べるようなものではありませんが………」
物語には、パステルを使って描かれた挿し絵が添えられていた。あるページでははらはらと涙をこぼす三日月が描かれ、別のページでは詩人の頭上で皓々と輝く満月が笑っている。
透麻は最後まで目を通すと、もう一度最初から読み返してほぅっと息をついた。
「透麻さんに……読んでもらいたかったのだけど、こんな拙いお話じゃ笑われてしまうと思って。それに、いつも言ってたでしょう？ しょーもない作品を出版社経由で持ち込んで、ぜひ読んで欲しいという小説家志望が多くて困る、と」
まるで叱責を待つかのように肩をすぼめて恐縮している游月を、透麻は優しく抱き寄せた。
「私に言おうか言うまいか迷っていたのですね。それであんなおどおどと私の顔色を窺って………」
游月はこくんと頷いて、透麻の胸に顔をうずめた。
「ねえ游月。これをぜひ、知り合いの編集者に見せたいのですが」
「えっ、と、透麻さんっ？」
游月はがばと顔を上げて、透麻をまじまじと見つめた。透麻も真面目な顔つきで見つめ返し、
「あなたの言葉の使い方には独特のセンスがありますね。難しい言葉や凝った表現を使っているわけではないのに、じわじわと沁みてくる。私はすっかり惹き込まれてしまいました。それにこの絵も、あなたの世界観を見事に表現している」
「あ……あの…………」
こんなに褒められると思っていなかったのか、俯いてもじもじする游月に微笑みかけて、
「言うまでもないでしょうが、あなたを傷付けまいとお世辞を言っているわけではありませんからね。私も作家として世に出ている以上は、駄目なものは駄目だと明言する責任がある」
しかし透麻の誘いに、游月は首を振って答えた。
「あの、これはただ透麻さんに読んで欲しかっただけなの。だから、他の人に見せるのは……。心の中を覗かれるみたいで恥ずかしいし」
「私のために……書いてくれたのですね」
はい、と小さな声で答える游月を、透麻はぎゅっと抱き締めた。そして、
「大勢の読者ではなく、愛する人のために物語を綴る市井の文豪はきっとたくさんいるのでしょうね。そして彼らの書くものは、控え目ながらも美しい輝きを湛えているに違いない。
………游月、ありがとう。私は世界一幸せな読者だ。また、私のために書いてください」
游月は透麻の腕の中で頷きながら、伝えることの喜びを噛み締めた。
（Fin）
